次男が私を悩ませている。。
自分の子ながら、こんな人見たことない
と思う。
友達の男の子が彼を他の人に紹介する時に言っていたのは
「すっごく頭悪いんだけど、、なんというか〜、、ある部分だけすっごく頭イイです」
バカボンパパ、プーさん、寅さん、ミスタービーン、
山下清、水木しげるをシェイクしたような感じ、、。
すごくわかりやすくて、わかりにくい。 愛すべき男。
次男は毎日毎日何かのペナルティーで担任の先生から立たされている。
今日も立たされたらしい。。
(先生はすごくまじめな良い方で、どうにか、まっとうにしてやろうと取り組んで下さっている。
ありがたい、、、)
でも先生は知らない、、彼には羞恥心がないことを。。
先生は自分が「立たされる」って行為は死ぬほど屈辱なんだろうけど、
次男には全くもって効果はないんだよな~。。
「先生今日こわいな」くらいなものである。
でも、先生のお考えもわかります。
人に迷惑を掛けたら、“反省した事実”を見せなくてはならない。
それも、公に。それが“人前で立たされる”という行為なのだ。
でも、自分もそうだけど反省って人から促されても分らない、自分の腑に落ちなければ芯から理解したことにはならない。
本当はみんなそうなんだと思う。
挨拶をしましょう。先生に敬語を使いましょう。
便宜上、分るフリしてなきゃいろいろ面倒くさいので理屈抜きで修正、書き換え、習慣化させる。
それが、すんなり入る子供はいわゆる「手のかからない、よく物事が解る子」とされ、多くの方から好かれ、安心と平和をもたらす。私もスキだ、けっこう三男がそうだし。
次男の一番手を焼く理由は、なんで修正をしなきゃいけないかが、よく解かっていない所にある。
毎回学校にいくと先生に呼び出しだ。。
「怒られてもまったく腑に落ちてないですが、能天気に生きてます!!」
フラフラ走る次男の背中にそのセリフが見えるようだ。
これを親が言ってしまうのはどうかと思うけど、本当ピュアバカなのだ。リアルバカボンパパだ。賛成の反対なのだ!
人は次男の名前を聞いた時、楽しい想い出を思い出したような癒された表情になる、、。でも、私は怒ってばかりでバカボンのママにはなれないでいる。。
ある日「お母さんの子供時代、なんのお菓子が一番好きだった?」
と聞いてきた。「チョコかな~。特に、病気の時にお父さんが買ってきてくれた“森永ハイクラウン”が、最高だった」というと、
目をキラキラさせて
「お父さん、どうやって渡した?」「食べた時のそのお味は?」「どう思った?」
私は細かくその時の様子を話をした。次男はじっと聞いていた。
私もなんだかそんな話しがすごく楽しかった。癒された。
しばらくして、私が病気で休んでいた時に寝ている枕元に来て、
何を持ってきたのかと思えば、
「森永ハイクラウンはもう売ってないんだってさ。キットカットは少しだけ形が似てるから。」といってチョコを渡して去っていった。
落語に出てくる与太郎みたいに、石を跨ぐと忘れるくせに、
いつもいつも連絡帳に書いてあることは忘れるくせに、
チョコの話ししたこと忘れてなかったし、ハイクラウンって名前も忘れてなかった!
お店の人にハイクラウンありますかって聞いたに違いない。
なんだかうれしくて、追いかけていって、病気うつすのもわすれてぎゅううう抱きしめた。
私が次男と同じ歳だった時に、担任の先生が次の学年に上る時「内緒だよ」と言って24色のクーピー色鉛筆をくれた。
私も次男と同じように先生には手を掛けさせていた(血だな)ので、
いつも怒ってる先生がこんなものをくれるなんて、どうしてだろう?、、と正直驚いた。
先生は「君の中の想いをこれでいっぱい表現して下さい」みたいなこと言ってくれたと思う。
その言葉の内容は幼い私の胸にすごい勢いでバスコーンと響いた。
言葉の中に、私のことを肯定して、理解してくれてると感じたからだと思う。
当時の先生と同年代になった今、先生の言葉を今度は子供に伝えたいと思った。
「今,先生の言ったっことがすごく腑に落ちています!」と天国にいる先生に言いたい。
この話を次男にして、「あなたは自分の中に数え切れないほどのクーピーの色数をもってるよ!いろんな色で皆に負けないくらいキレイ」といったら、次男の目からぽろり涙。
次男はまわりについていけなくて、自信が無くなってたのかもしれない、、。
これからも彼はきっと立たされ続けるだろう。
細かいことに腑に落ちない思いをしながら、、
でもいつかきっと、時間はかかるだろうけど、
自分の才能とはこういうことだったのだということが
“腑に落ちた”と思ってくれる時がくると信じている。
時にアマゾネスのように、時にバカボンママのように、
今を楽しみながら一緒に歩いていきたい。