ご近所で、アケビをいただいた。。
何とも言えない、イイ色合いなのでもったいないと思い
写真に撮りました。
イイ、色だな〜
2008年 11月
change!。。。?
アメリカの大統領、決まりました。
なんか、テレビ見てると泣いちゃったりなんかしてる人いる
けど、、、
まあ、わからなくもない気がする。
人種問題、宗教問題
さまざまな壁を取り除いたかのように一見みえるし、
感動的な絵面ではある、、
何かを変えてくれるかも!?オバマさん。
そんな気がしてくる気もよくわかるなー。
でもアメリカのこの大騒ぎを比較的日本人は冷ややかに見ている気がする。
「強いリーダーシップで何かを変えてくれる」ことを、
もはやこの国(日本)の“誰か”に期待している人は少ないと思う。
複雑で煩雑な生活の中で期待することといえば、シンプルな自己責任だ。
コロッケの怪
先日、友人のグループ展のオープニングパーティにお邪魔してきた時のこと。。。
なんだか、自分がすごくちっちぇー奴に思えた事があった。
先に、言っておくが、すごくくだらないことだ。
片づける仕事やら、子供を風呂には入らせなければならない時間だったり、
西ニツカレタ母アレバ、こんな愚文を読まずに、
ただちにやるべきことをやってくださいませ。
で、
そのギャラリーの雰囲気なのか、
それとも作家の方が芸術系大学のもと学長とかで
なんとな〜〜く空気が、厳か?というか大人な雰囲気に包まれていた。
いつもの通り、KYな私は最初、そんな雰囲気も読み取れず、
展示を楽しんだ。
そして一段落すると、目の前に並んだおいしそうな手づくりお料理!
(注:私の腹は激空きだった。)
わーい!いただきまーす。
しかし、いきなりガッついてはいけません。。
私は、なんせ作家の友人といえ、皆さんとは初対面。
ましてや、周りはなにやら年配の深みのある作家系の方達だ。
軽々しい態度はつつしむべきだろう。。と、こんな私も一応考えた。
本当はこの料理の中でいちばん美味そう(私にはそう見えたのだ)
に燦然と輝く、ピンポン玉くらいの香ばしそうなコロッケを
箸でぐわしっとつかんで、わしわしと食べたいのだけれど
そんなことをしたら、厳かな人たちがいっせいに私の方を
「いきなりコロッケを先に食べたね!ええい新参者、、、控えおろう!」
という目線で見るやもしれないではないか。!!
自分の意思とは反対に、箸は、「人目」という名のこっくりさんに操られ
かぶの粕漬けとか、人参や小タマネギの酢漬けに、、
ああぁ、コロッケ食べたい。。。
それに、なぜか、皆さん料理のあるテーブルをぐるーりと円陣を組むように
囲んでお話されているのだ。
(注:誰がどの料理をつまんだか、自然に視線が注がれるシステムになっております。)
談笑している間も、果敢に(アホか、、)幾度とコロッケにトライしてみたが
コロッケの半径30センチくらいに結界が張られているらしく
箸をそばまで近づけるのだが、人目こっくりのパワーにより断念。無念!!
箸は、ひとっつも食べとうもないルッコラのサラダに。。。
しかし、見ていると他の誰も、コロッケを食べようとしない。。
しかし、みんなトライしようとはしている?(ように見える!)
だって、「コロッケ美味しそうね〜」
とかささやきは聞こえるのだ。
そんな中で、悠々とコロッケを口に運べるのは
先生と呼ばれている方々だった。。
終始、コロッケの周りの結界と闘っていた自分がもう、、なんだかイヤになりましてね。。
途中、“クジラと日本文化の歴史”的な話しを振られるも、
コロッケ脳になっていた私は、あいまいな笑いを返す始末。。。
私は、コロッケを遠慮せず、ガブつくべきだったか、
大人として、すきっぱらでも談笑に専念すべきだったのか。
“ピンポン玉くらいのコロッケを食べる”行為が
なして、できぬ!!
私の中でちいさな私がもう一人の私をビンタしている。。
だいたい、「先生」て呼ぶの、やめません?
学校関係者以外。
小さいことのように見えて、ここには大きな日本人としての問題が隠されているように
私には思えてならないのであります!(なことないか)
次ぎ、オープニングパーティ行く前は、少しお腹を満たして行きます。