前回のこけしに続き、展覧会で制作したマトリョーシカについてのお話し。。
制作したものは全部で7種類、、全て完売いたしました。
購入して下さった方々、本当にありがとうございました。
展覧会のギャラリーの様子はこのような感じで
とても明るいギャラリーで、本当にパリの路地にありそうなかわいらしいところだった。
ここでやらせていただいて、本当に満足している。
お隣さんが八百屋さんで、気さくなご主人は
マトリョーシカにちなんでりんごでマトリョーシカを創ってくださった!
なんて、気さく&キュート!まず、これで私の心は相当癒されたのだった。
ちなみにリンゴに顔を描いたのはご主人です。(キッパリ)
さて、、
マトリョーシカのご紹介にもどることにして。。。
それでは、
マトリョーシカNo.1 サンタクロース
これは、オーソドックスなサンタのマトですね。頭のポンポンは白い毛玉をつけました。
ボディーの模様はスノーマークと雪景色を図案化して描いています。
日本でいう「笠じぞう」のように、情に厚い人たちである。
マトリョーシカNo.2 レイバンサンタ
まさかこれは売れないだろう、、と思っていたので、売れた時は思わず、その方を二度見してしまった。
寡黙なレイバンのサングラスをかけたサンタは、トナカイを待たせてよくマールボロを吸っている。なぎら健壱の曲が好きでよく聴いている。
よい子に対しては、いたって紳士。
マトリョーシカNo.3 ミカンマト
この子たちは5人姉妹である。(お母さんもよくがんばった。)
この子たちは、ミカン農家の娘たちで、ミカンをとりあえず勧めてくる。
暖房が効いてて、咽が渇いたな。。。と感じた頃に
持ってきてくれるひんやり冷えた甘いミカンは、絶品だ。
次女はいつも自由を求めている。
小さな5女は頭の上にミカンを乗せている。
マトリョーシカNo.4 おじマト
地味な新橋辺りを歩いてそうなサラリーマンのおじさんのマトをパカパカと開けて行くと、出てくるものは“夕日”だ。少年の頃、家に帰らずいつまでも仲間たちといて、基地を作って遊んでいたあの時代、あの時間帯。。時間は無限にあると思っていた。夕日から出来た長い影、大人になってからは見た記憶がない。真っ赤な夕日は、少年の心の象徴となっていつまでもおやじの心に住み続けている。
マトリョーシカNo.5 おばマト
女はいつからおばさんになるのだろう。。「あたしんち」出てくるお母さんみたいなおばさんがヒトゴトだと大笑いしていたのもつかの間、出てくる出てくる己のおばさんエピソード。。
でも、いつも忘れていないものがある。それは、、“乙女心”。
小動物を見るとキュン、ハンカチの端に刺繍してある小花を見るとキュン、かわいい可憐なもの、キラキラと光るキレイなビジューを見ると乙女心はキュンキュンしっぱなしだ。
おばさんを、パカパカするとキラキラひかる乙女心が顔を覗かせる。
人によっては、おじさんマトで中身が乙女、おばさんマトで中身は夕日って人もいるけどね。
マトリョーシカNo.6 クママト
このマトリョーシカは、クマの比率順になっている。
個体差があるから正確ではないけれど、まま、だいたいこんな風になっている。
左から、北極熊、ヒグマ(カナダのグリズリー)、パンダ、人間の子供(小3くらい)、マレー熊。
そう考えると、北極熊っておっきいねー。
マトリョーシカNo.7 ジキハイマト
ジキハイとは、、ジキルとハイドのことである。
ジキルとハイドほど極端でないにせよ、どんな人間にも、内なる自分と、対外的自分を持っていて、常に2面性を無意識に行ったり来たりして世の中と関わっている。
タマネギの皮のように幾重にも違う自分が重なっていて、その複合的な自分の要素で成り立っているのだ。ある側面から見ると、やさしさ全開でも、違う側面から見ると冷酷だったりもする。
私はその2面性が、ある時は意外性となって、ある時は“味”となって面白く作用して来るように思う。
このマトの右端の最終形はこの写真では白い花(善)になってるけど、裏はピストル(悪)が描いてある。
最終的にどちらが出てくるかを決めるのは自分だ。
でも、それを決める自分の核も本質など無くまた二面に分れてる。
だから人は変われる余地があるのかな、、と思うのです。
以上、7種類のマコリョーシカの説明でした!
ありがとう!!マコリョーシカたちよ。
まこけしについての解説はこちら。
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