少し落ちついてきたので、書いておこうと思う。
なにも、語れる事などないし、反省文ともちょっと違うんだけど
起こったこと、感じたことを、書き留めておきたい。
自分のため。家族のために。。。
1週間前に大きな交通事故を起こしてしまった。
私の前方不注意によるものだ。
ここ何日かは、重い気分から立ち直れなかった。
心が落ちつかずぼう然としていたが、
なんとか仕事に支えられ過ごしていた。
人間だからいつか忘れるだろう。
でも、このことは大きな過失でもあると同時に
貴重な経験でもあった。
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その日は、残暑の残る、とにかく日ざしの強い暑い日だった。
子供のサッカーの練習が昼からあり、
時間ギリギリに家を出たので、私はすこし焦っていた。
子供を一人助手席、一人後ろに乗せた。
いつも通る見通しのよい十字路。
いつもは大来が多いけど、今日は少なめだなあ。。
左右確認したけど左はもう一度確認しなかった。
急がなきゃ!
一旦停止をちゃんとせずにアクセルを踏んだその瞬間。
バンッ!!甲高い破裂音のような音とともに、あ!?っ
と気がついたらクラクションは鳴りっぱなし
目の前は真っ白。エアバッグが開き、車内に煙ときな臭い匂いが充満していた。
すぐには何が起こったのか、判らなかった。
「え?え?え?何かにぶつかった!?車?夢?どうしよう!子供!」(子供の方を見る)
子供2人とも「イテテ・・」などといいながらも、大丈夫そうには見える。
「ちょっと車来るから出ないで待ってて!」
すぐに車から飛び出した。
舌を噛んでいたようで口のなかに生暖かい血が充満して来た。
車から出て目に入ってきたのは相手の車だった。。
「やばい!!車にぶつかったんだ。」どうしようどうしよう・・・
頭がパニックで、前の景色がグラグラ揺れた。膝から崩れ落ちて
しまいそうだったけど、どうにか気をしっかり持ち
子供を車から出して、相手の車の窓を見る。
相手の車は正面から側面にかけてぐしゃぐしゃにみえた。
絶望感。。。殺人、、重く黒い文字が腹の底から駆け上がってきた。
走る!相手の車に走る。心臓が口から出そう。
「大丈夫ですか!!」車の中の男性はゆっくり身を起こした。
(生きてる!神様!ありがとう!)
そして、相手の男性は煙の立ちこめる開かないドアの窓からぐんぐんと這い出してきた。。なんと、
無傷であった。。奇跡。
私は思わず、「ああよかった、あなたが無事でよかった!」
と叫んだと思う。痛い?痛い?とバカな聞き方くりかえしてしていたような気がする。
子供たちはその間、車の来ないとこへ座らせておいたようだ。
その間、1分くらいの出来事である。。
クラクションは2分ほど鳴り続けてやんだ。
車の最後のオタケビのように感じて心がかき乱された。
車は自分の代わりに死んだ。
(そのあと、レッカーされてディーラーの廃車置き場に会いに行った時、変わり果てた姿の彼女(なぜか女子だった)を見て、想い出が込み上げてきて涙が止らなかった。)
その後は、救急車、消防、警察入れ替わり立ち替わりの対処でよく覚えていない。
その間、通り掛かりの人がみんな親切に力を貸して下さったこと。
感謝の気持ちを伝える事無く行かれてしまった。お名前など聞いておけばよかったと
後悔の念ひとしおだ。
事故の相手の方は救急車に運ばれていった。
後から駆け付けるため病院の名前を確認する。
消防の人も確認を済ませると、引き上げていった。
警察の人たちがテキパキと事故処理をしている。
ぼう然と立ち尽くす私。
その時感じたのは、
事故は自分が死んだと解らないままにあの世に行く。
ほんの一瞬の中で起こるんだ。
そしてついその瞬間から今、血脈が流れているこの体はただの“むくろ”となり、
すぐに処置され、過去のものとなる。
私はイメージした。
私達の遺影の前でうなだれる旦那と長男を・・
私は死んでも残された家族は、“悲しみ”という万力で
ずっと深く重い圧をかけ続けられて暮らしていくんだ。
暑いアスファルトの照り返し、遠くのかげろうが今の状況を幻想のように
思わせる。
現実に引き戻され、警察の事情聴取というやつをやった。交通課の警察官はもう何人もの事故を見てきたのだろう、私よりも状況を把握してるみたいだった。
最後ぽつりと「あなた、本当にラッキーだったんだからね」と乾いた声で言った。
それ、マジで重みのある言葉だった。
仕事を中断して、旦那が駆け付けてきた。
無言で歩み寄ってきた。
事の惨劇は車の有り様が物語っていた。
引き寄せて抱きしめて一言「お前が無事でよかった。。」と言ってくれた。
緊張の糸が切れて、涙が出て出て。。。全身全霊の反省の涙。
背中をトントンとはげましてくれるように支えてくれる手。
温かくとても大きな手だった。
人を変えようとするならば、愛する他ないのだ。とその時教えてもらった。
家族、義母も「お前さんが無事でなによりだて。一番大事な人だもん」。
義父は日ざしが暑いだろうと、わたしの肩にタオルを掛けてやれと言ってくれた。
私はこの時の感謝の気持ちは、一生分忘れないと思う。
自分がしでかしたことに対する後悔と一緒に
なんていうか、いいようのない温かい感動のようなもんにも包まれていた。
その日の夜、相手の方のお家に謝罪に行った。
お相手が元気そうに出てこられて、小躍りしたくなるようだった。
相手の顔に赤味が戻っていて、(事故直後は顔面蒼白だった)ほっとした。
気がついたら玄関にひざついて頭をさげていた。
人は本当に反省したら、勝手に三つ指になることがわかった。
お相手の方は「僕の方は大丈夫ですよ。お子さん、大丈夫でした?気をつけてあげてくださいね。あなたも怪我ありませんでした?」
お相手のお母様も、「皆にあり得ることだから、私達だっていつ起こすか判らないんだから。あまり気にされず、お子さんのために一日も早く明るいお母さんにもどってあげて下さい。」
と・・・・・・!言って下さった。のだ!
同じ立場に立って自分はこの方と同じことが言えるだろうか。。
あんな目にあったのに、こんな優しいなんて!、、またメソメソとしてしまった。
慈悲の心を教えていただいた。
謝罪終えて帰りの車中。。。
旦那がぽつりと「少しの数字(距離、スピード、角度、タイミング)の違いで、お互いにどちらかが死んでたかもしれない。
お前が殺してたかも知れないし、お前や、子供も死んでたかも知れない。
お前はそれが解ったんだから、命拾いをしたんだと思うよ。」
「命拾い?」
「今回の事故がなかったら、次は取り返しつかなくなる事故をしてただろうってことだよ。きちんと止るって事が本当の意味で解ったんだから。」
セキを切ったように涙があふれてきた。
過信していた。全てに過信していた。
九死に一生を得た、不安と感謝と恐怖と喜び。
おさえようのない慟哭。
きっと産まれてくる赤ん坊が泣く理由があるとすれば
こんな気持ちではないのかと感じた。
九死を真剣に考えなければならない。九死を忘れてはならないんだと思った。
失礼だけど相手の方が遺影の中にいる絵を想像した。
その前にうなだれるご家族を想像した。
とめどなく後悔と感謝が流れ出てきた。
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当たり前だけど、命は一つ。
一生はたった一回。生かされている。
自分も、相手も、皆、同じように。。
私はこの機会ほど“感謝”を感じたことはない。
子供が変らずはしゃぐ姿を見て、こんなにも輝いて笑顔が美しいと感じる。
きらきら光る目、躍動感あふれる肌、匂い。
全てを五感で感じたい。
何に感謝かわからない、神、仏、先祖?わからない。
わからないけど手を合わせて感謝したいと思う気持ちが湧いてくるのだ。
生かされたのだ。 死なないですんだ。
鏡の中に写るシートベルトの摩擦傷は、日々癒えて行く。
傷の癒えと一緒に忘れてしまいたくない。
あの暑い夏の昼下がりに起こった事故の中に、忘れてはならないものが
自分にはできた。
産まれ直しだと考えて、今までと変らないあたり前の生活を感謝して
これからも大切にしたいと思っている。